
友人の一人として、あるまんど山平について書こうとしている。あるまんど山平の音楽を知るには、山平という男を知る必要があると思うからだ。
高校時代、ぼくらは通学の電車の中で理想やあこがれを語り合ったものだ。多感な時代のほろ苦く、甘く、そして消えようもない記憶だ。あの頃の彼は、もろくて壊れやすい、まさに『水晶のさかな』そのものだった。透明で優しい水晶のサカナは、その溢れ出す自分の想いを表現するすべを知らないまま、孤独な海を一人さまよい泳いでいた。
高校は理数科だったから、ぼくらのように理科系の大学に進学しなかった者は少なかったが、中でも芸術系の大学(日大芸術学部映画学科)に入った彼は、特別異端だったといえる。その頃の彼をぼくはよく知らないが、少なくとも自分が泳ぐべき海の方向を見つけたことだけは確かのようだ。
生まれた土地に戻った彼は、手つかずの自然が残るブナの森や清流の郷をさまよい歩いた。深山の峰に立った彼が、広がる霧林の果てに見た光は何だったのだろうか。聞いたものは何だったのだろうか。
『音が降りてくる』と彼は言う。澄んだ水晶のような心を持つ彼にしか与えられないインスピレーションなのだろう。自然のささやきが、優しくしなやかな受容体に宿り『あるまんど』の神の手によって奏でられるとき、それはぼくらを癒す音楽になる。
あらゆる生命(いのち)の歓びを祝福するように彼は歌う。『まほろば』(かけがえのない素晴らしき場所)に吹く風のように。(Y.I)

